初めまして、院長の下屋正則です。
昨年『コウノドリ』という産婦人科のドラマを民放でやっておりました。その中に下屋(しもや)先生という人物が出てきます。若くて未熟な面もあるけれど一生懸命な女性医師で応援したくなります。
私の場合、同じ漢字の苗字で、「したや」と読みます。私は宮崎県の県央部出身ですが、宮崎でも下屋は珍しい苗字で、しかしこのドラマのおかげで少し皆さんに広まったかもしれませんね。
私は医師になって30年近くになります。これまで幾つかの組織、10箇所以上の診療拠点を経験しました。別のページでも記しました通り、当初10年間は消化器内科医として総合病院中心に診療を行い、その後20年は地域医療の現場で、内科・整形・皮膚科・小児科・心療内科などの診療科患者さんの治療を受け持ちました。ごく最近では総合医という診療科が専門医として認められ、これからの日本の医療を幅広く支える事になるようです。私は結果的に総合医を先取り(昔の町医者は皆そうだったのですが)した事になります。私の出身である防衛医大が、総合診療医というタイプの医師を育てることを目的の一つとしていることもその理由として大きいです。私が学生の頃、先輩の自衛隊医官(自衛隊の医師を医官と呼びます)にどんな医者になりたいのかと聞かれたことがあります。私は「一つの専門領域を修得し、かつ幅広く病気を診られる医師になりたい」と答えました。今その当時思っていた医師に少し近づけたと自負しています。
ところで、どうして私が医師になったのか。よく聞かれます。私の場合、親が医師だったわけでも、もともと頭がよかったわけでもありません。私は小学校の頃成績はよくありませんでした。学校の先生にもよく叱られました。忘れ物もしました。宿題はやっていきません(出来なかったからです)。中学校になり転機が訪れました。将棋との出逢いです。最近は藤井6段で話題です。中学1年生の時に放課後の文化クラブで将棋クラブに入りました。そこで初めて将棋に触れ駒の動かし方を覚えました。ハマりました。常に将棋の事ばかり考え色々な人に教えを乞いました。お陰でそれなりに強くなりました。中学3年生の夏頃にはアマの2級位の実力になっていたと思います。その頃のジュニア将棋大会が宮崎市で執り行われ、私の対局が宮崎日日新聞に連載された事もあります。その頃将棋を中心にお世話になった国語の先生がおられました。この先生との出会いも大きかったです。今でもその先生の事を思い出すと感謝の気持ちで一杯になります。
しかし、将棋が何故転機か。将棋は記憶力・先を読む思考力・諦めない根性が身につきます。この時期に、私は勉強に向く体質に変わって行ったのでしょう。中学の学業成績は入学時、大した事はありませんでした。私は塾や家庭教師をつけたりしなかったですし、授業以外では参考書のみの勉強でした。でも将棋のお陰で卒業時は成績1番だったと記憶しております。それで希望する県立高校に、そして防衛医大に入学できたと思っています。
ここで私が言いたい事があります。最近は教育の格差と言われたりします。確かに、教育に親の経済状況、環境の与える影響は大きいでしょう。それは国のレベルで解決していくべき問題です。しかし、私は、お金がなくても、小学校の頃勉強が出来なくても、塾に行かなくても、頑張ればやりがいのある職業に就くことは出来ると思っています。私は外来に来る子ども達に少しでも夢を与えられたら良いなと思いこの話をする事があります。私には将棋がそのきっかけになってくれました。診察に来る子ども達の誰かが、頑張ってみようと思うきっかけを、何かほんの小さなものでも作れたら、・・・そして将来私達の仕事を手伝ってくれたりしたら嬉しいです。
だいぶ話が長くなりました。書きたい事はまだ沢山あります。これが自己紹介になるのか疑問はありますが、私がどういう人間か少しお伝えできたのではないかと思います。これからも、私を頼ってきてくださる方々のために日々努力し、誠意を尽くしたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。
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